双子座眼鏡男子の生活と記録〜誰もが自分の人生という物語のヒーローである〜

高校卒業後、2年間の自宅浪人期間を経て、大学入学。そして、社会人として今を生きる自分自身の記録。

【10年後の自分に向けて】

一年以上ぶりの投稿。

 

2022年の1月7日、金曜日。

 

僕は、昨年末から仕事に行けていない。

有給休暇も使い切ってしまった。

 

つまりは、欠勤状態。

 

休むということに関しても、罪悪感というかそういうものが薄れてきてしまっていて、僕はこのままどうなってしまうのだろうかと思う。

 

前職は、適応障害で休職の後に退職。今の職場は、1年と少しくらいになるのだけれど。年度が変わって、人の入れ替わりとか配置替えとかもあって、夏ごろくらいに休むことがあり、何度か休まずにキープできていたんだけど、今は出勤ができていない状態である。

 

今も適応障害なのか…それか鬱的な何かとか、、、

出勤困難症みたいなとか

そういうことをつらつらと考えても始まらない。

 

自分は人間をするのが不器用だなぁと思う。このフレーズは、多分、又吉直樹さんの『人間』に出てきた気がする。

 

誰かに雇ってもらうというのは、メリット・デメリットがある。自分だけで働くというのもメリット・デメリットがある。

 

この世というか、日本だけみても、仕事っていうのはいろいろある。

僕もアルバイトとかから今を含めても、5つくらいしかやったことがない。知らない世界が山ほどある。

 

人間関係とかって面倒くさいけど、面倒くさい以外のこともある。自分の大好きな人と過ごす時間は楽しいし、そういう人のために使う時間は価値があると思う。

 

どんな仕事も誰かの世の中の役に立っているとも思う。

 

このブログの1投稿目のYouTuberについての記事。多分、そういう風に働いている人達が羨ましいから書いたんだと思う。YouTubeを本当に仕事としてしている人、趣味でしている人、いろんな思考でやっている人がいる。

 

YouTubeでなくてもフリーランスっていうのかな、個人事業主というカタチ。自分のペースで働いていく。このカタチは、今の世の中ならスタンダードとは言えないものの増えてきていると思う。まぁ身近にそういう人がいないから未知な感じがするのも事実。

 

僕の好きな芸人で、霜降り明星さんがいるけど、粗品さんは個人のチャンネルでゲーム配信していて、スーパーチャットという投げ銭をめちゃくちゃ貰っている。好きなゲームをして、お金をもらえるってシンプルにすごいなぁと思う。

 

誰かに雇ってもらって、お金を稼ぐ生き方もすごいし、素晴らしいけど、自分で仕事なり、価値あるものを生み出して働ければ、それってもっと最高じゃないかって考えるのである。

 

自分に合う働き方がない、見つけられないのなら、自分でつくる、生み出す他ないのではないか。

 

僕の好きな書道家さんの武田双雲さん。

 

昨年末に個展に行って、初めて本人も見たのだけれど、彼のその人も作品にもパワーがみなぎっていてすごかった。彼の芸術作品は、お金の価値で表すべきものではないのかもしれないけど、僕からしたらまぁそれはすごい金額で販売されていて驚き。

 

作品そのものの価値でもあり、それを生み出した武田双雲という人の価値でもある。

 

人の価値というと、どんな人にも価値はある。良く耳にする「生きているだけで価値がある」と。でも、生きていくことは簡単なようで簡単ではないのかもしれない。

 

今はいろんなメディアで情報を取り入れることができる時代。コロナも相まって、ホームレス生活の人が増えたとか、それに近しい人がどうだとか。でも、そういう人を見ても、今の自分には手を差し伸べるほどの力も、勇気もない。自分の生活をどうこうしていくので精一杯だから。

でも、もしその一定のベースがクリアできているのだとしたら、自分以外の人の人生に良い影響を与えていけるではないか。その一つが、お金の有無であるのも事実。お金の価値なんていくらでも変わるが、戦後から見たら大きく変わることもなさそうか。でも、この先の未来の世界に何が起こり得るかは誰にも予測できないから何とも言えない。

 

アラサーの僕を育てて、大学4年まで、特にお金に関して何不自由なく育ててくれた両親。家を守った母、自営業で外の力仕事で働いた父。二人とも60代を越えていて、なんならこの先は自由に気ままに生きていてほしいと思う。でも、実際は、今まで続けてきた仕事も身体に支障がきて続けられなくなってきて、今後は年金頼りの生活になる。日本というそういう社会の中では仕方ないのかもしれない。でも、子育てをやり切るってすさまじいことじゃないか。報奨金が出てもいいぐらいのことじゃないかと思う。わが子をしっかり育てたのに、その先の人生がしょんぼりするのってなんかやるせないなと。

 

両親には両親の人生があるから、僕からしたら自分たちの人生は自分達で何とかしてほしいとかも思うけど、自分も育ててきてもらった恩があるから、できることならば楽させてあげたい。自分にとって大事な存在だから。でも、今はそういうことができる状況でない。から、これからどうしていこうかという話。

 

セルフカウンセリング的な投稿になってきた。僕のこれまでを全く知らないからこそ話せることもあるよね。知っているからこそ話せない、話したくないこともある。巷では、“聞き屋”として頑張っている人もいる。実際に人と会ってやっていくのって凄いと思う。

 

この記事を書きながら、YouTuberヒカルさんの動画をBGMにしている。炎上もした人だけど、ビジネス、ゲーム配信、アパレルなどなどをやり、慈善活動などもやっている最近。賛否両論の多い方だけど、自分の軸をもっている方だと思う。失敗もたくさんされていても、その分、行動に起こして成功を積み重ねている方。話を聞いていると、批判的な思考が強みなのかなと思う。「この人にできるなら、僕にもできるんじゃないか」とヒカルさんが語っているように、自分ならできるという思いから行動しているからすごい。ヒカルさんの例え話で、アニメとかマンガの話を耳にする。彼は、自分の人生をある種ゲームのように楽しんでいるんじゃないかと思う。人生を遊びに、仕事を遊びに、というのは僕の実現したい人生のテーマでもある。

 

僕の今の悩みって、、、最初に書いた今仕事に行けてないってことよりも、働かないからお金を生み出せていないわけで。それによって、今後の家賃などの支払いが心配なのである。ここがクリアできれば、そこまで不安感はないと思う。現状、暖房のある部屋でこの記事を書けているからすぐさまどうにかなってしまうことではないけど。そうした今がもしかしたらなくなってしまうのかもという怖さがあると思う。

 

それのもとに、今の出勤できていない状況があって、いろいろ考えてしまう自分。甘いなぁと思う。

 

うだうだ考えずに、復帰して働くのか。

まだ休むのか。

辞めて、違う道を行くのか。

それとも、まだ見ぬ別路があるのか。

 

現状、一人ぐらし。お付き合いしている人も子どももいない。

そういう面では自由ではある。でも、将来は自分にとって大切で一緒に支え合っていきたいと思えるパートナーと生きていきたいし、子どももほしい。

 

だから、今はそのときのための考える時間なのかもしれない。

 

今年は、いろんなこと、もの、はたまた人の整理の1年にしよう。

一番は、考え方の整理だと考えている。

 

どんな状況に居ようと、明るく前を向いて元気でいられる人もいる。僕の今の状況だって、どこかの誰かの今に比べれば大したことがないだろうし、なんとでもなると思う。

 

そういう意味では、良く芸人の方が「借金○百万」とか言ってても、不思議と暗さがないという現象と同じで。むしろ楽しそうな生き方にさえ見えてしまう。この話は、芸人の空気階段モグラさんをイメージしたんだけど。先ほどの粗品さんもしかり。

 

何事も自分次第。生き方、考え方、感じ方、見方、聞き方。

 

自分以外は自分の人生を生きられないのだから。

 

僕の行く道のゴールを知っている人はだれもいない。旅の終着点を知る人はいない。だから、まわりの人のいうことにいちいち振り回されなくていい。自分で選べばいい。

 

結局のところ、休むとかどうとかも選んで今があるから。自業自得なんだよね。

 

自分とはいったい何かって考えると、物質的な視点で考えると人間、男性、アラサー。身長とか体重とかどうのこうのなんだけど。

それよりも大事にしたいのは、自分は何が好きで、どうしたいとかどう考えるかということ。それが自分自身であると思う。

 

好きな言葉、好きな人、好きな食べ物、好きな場所、好きな飲み物、好きな音楽、好きなスポーツだとか。

 

好きという力は無限大だと思う。

 

僕の好きなアーティストは、UVERworldさん。中学生のころから好き。

そんなに長い間、CD買ったり、ライブ行ったりとか自分でも不思議。

ボーカルのTAKUYA∞さんは、42歳。生き方がかっこいい憧れの存在。同じくUVERworldのメンバーみんなもね。彼らの作る音楽に助けられてる。

いつか、どこかで会ったり、それこそ仕事でご一緒できたりしたら嬉しい。

 

この記事のタイトル【10年後の自分に向けて】なんだけど、果たして10年後の僕はどうしていますか?

 

自分にとってのやりがいのある仕事をして、お金を稼いで、生き生きと生きていますか?

 

自分の事だけでなく、自分の近くにいてくれている人も幸せにできていますか?

 

そして、何より今日という日を「そんなころもあったなぁ」と笑い話にできていますか。

 

2032年の1月7日ごろに、また会いましょう。

 

偶然にも、この投稿に辿り着き、読んでくれた方、ありがとう。それぞれの路を生きましょう。まだまだこれからです。